建築

台北

台北の日本式屋敷を歩く。文人墨客が集う「齊東詩舍」

日本人観光客には知られていない、かつての日本官舎へ 近年、台湾では日本統治時代の建築に対する関心が高まっており、保存状態の良し悪しに関わらず、その残された史料や文献からは興味深いストーリーが浮かび上がってきます。今回はまだ日本人観光客には...
カルチャー

台湾のスターバックス ぜひ足を運んでほしいコンセプトストア

次の台湾旅行でぜひ足を運んでみたいコンセプトストア 日本でもスターバックスのリージョナル ランドマーク ストア()はたくさんありますが、台湾も各地に独特なデザインでその街の魅力を存分に詰め込んだ、スターバックスファンの聖地になっているコンセ...
台湾西部

撮影スポットとしても大人気の台中「宮原眼科」は美味しいお菓子屋さん

宮原眼科は、アイスクリームで有名な台中のお店 「宮原眼科」は1927年、日本統治時代に宮原武熊という日本人の眼科医が台中で開院しました。戦後、宮原医師は日本へ帰国し、医院は国民党政府に管理され「台中市衛生院」になり、その後閉院。 現在...
カルチャー

アートから環境建築まで:台湾の現代建築総整理!

成熟を見せる台湾の建築にせまる 台湾には大型の現代建築がたくさんあることを知っていましたか? 深い自然や美しいビーチ、もちろんおいしい料理やアジアらしい文化なども台湾の魅力ですが、実は近現代建築も見逃せないんです! 台湾の建築の進化 ...
台北近郊

淡水は歴史と文化の宝庫そして自然とレジャーの楽園です。

淡水観光で必見のスポット「淡水紅毛城」と「清朝期淡水税関吏官邸」 19世紀末の清朝英国領事官邸 英国式住宅と中国様式が合体した建物です。 1629年にスペイン人の手によって「サン・ドミンゴ城」として建設され、1642年にス...
台北

1908年日本統治時代に市場として建造された「西門紅楼」設計者は日本人!

今では、レトロ&ポップな複合施設で個性豊かなショップがたくさん!! 1908年日本人の建築家「近藤十郎」が設計して建てられすでに100年以上が経ちました。 はじめて政府が件建設した公営市場で最も古い建物です。 建物の形も八方から集まっ...
台北近郊

今では夕日で有名な淡水は、昔は防衛上の重要な拠点だったんです。

1884年に勃発した清とフランス軍の戦争(中法戦争)では淡水が戦場となり、戦後、1886年に砲台必要の為から、竣工した滬尾砲台 入口の上に彫られた「北門鎖鑰」の文字や兵舎、兵舎の上に取り付けられた通気孔など、当時のままなんです。 ...
台北近郊

100年余りに経った今でも素朴で優雅な伝統的な建築物「公司田渓程氏古民家」

公司田渓程氏古民家は、5つの部屋からなる「火庫起双護龍式」と呼ばれる建築だそうで、台湾伝統の建築様式で煉瓦造りです。 周囲を竹に囲まれ門をくぐると中庭があり、左右と正面に住居があります。 この公司田渓程氏...
台北

台北・松山空港着陸時に真っ赤な建物が見える「圓山大飯店」に隠されたパワーが。。

風水的には非常に気の流れが良いといわれている場所に位置する「圓山大飯店」 わたし旅では、台湾を象徴する「圓山大飯店」3大パワースポットめぐりをしております。今回偶然にも、ホテルの副社長「龐妤家・Miki Pong」さんが直々に案内...
台湾南部

日本統治時代の高級料亭「旧鶯料理店」は上流社会の社交場だった

日本統治時代に「夢幻料亭」と呼ばれていた高級料理店 1923年に裕仁皇太子(後の昭和天皇)が台南を視察した際、鶯料理が指名された。 以前料亭近くには、台南州庁や議会・警察署などがあり、こちらの料亭を政治家や商人がよく利用して...
台北近郊

バロックの華麗な装飾と閩南伝統の装飾が特徴「大渓老街」

この街の名産はコマなどの木工製品と豆干が名物なんです。 日本統治時代に整備されたギリシャ式破風とローマ式柱にバロック風の装飾が施された騎楼建築が残されている。 中国語、日本語、ローマ字などの商号が混合しているのが大渓老街の特...
台北近郊

へ~~!!あの「日東紅茶」は台湾で生産されていたんですって!

1926年日本統治時代に三井合名会社が「角板山製茶工場」を建築、最盛期には年間600万トンの紅茶を生産していたそうです。 大渓老茶廠(歴史的建造物) 台湾 桃園の山の中にあるお茶工場(稼働はしておりません) 最初は烏龍茶と包種...
台北近郊

大渓老街の南側に残る日本統治時代の建物に歴史を感じる。

リニューアルされた建造物、そこには大渓の古い街並みと歴史を感じることができます。 日本統治時代に大渓公学校校長宿舎として建てられました。現在は野外博物館のコンセプト普及のための情報センターとして使用されております。建築年代:192...
台湾東部

日本統治時代は高級将校用招待所だった「松園別館」

神風特攻隊が出陣する時、天皇から賜った「御前酒」を振る舞わされたという言い伝えがある。 1941年太平洋戦争が勃発すると、日本は兵力を増やすため「陸軍特別志願兵制」を実施。 松園の旧名は「花蓮港陸軍兵事部」といい、兵の募集と兵役の管理を...
台北近郊

日本統治時代に日本語の発音で「三角湧」が「三峡」となりました。

昔は大漢渓・三峡河・横渓の3本の川が交わり「三角湧」と呼ばれていた。 三峡老街は、台湾で最も長い260メートルの老街です。 日本統治時代に、当時流行っていた欧風の趣きによって和洋折衷の風情に漢人文化が溶け込む独特の景...
台北近郊

古民家を改築して造られたアートスペース「甘楽文創」でお茶してきました。

甘楽文創は、アートスペースだけあって「金属細工」「藍染」の体験教室もできるんです。 古民家を改築したというより古民家の周囲を新しく囲ったって感じじゃないでしょうか? こちらで金属細工の体験ができるんです。 ...
台北

国立台湾大学を知ることができる展示場「校史館」には!

校訓は、敦品励学愛国愛人(篤実で、学に励み、国を愛し、人を愛す) 台湾大学の卒業生は、この校史館内で結婚写真を撮ることができるんですって! 校史館では、大学の歴史や学生生活の歴史、貴重な写真、台北帝国時代の器...
台北

台湾大学の総面積は台湾全土の約百分の一の広さなんです。

台湾大学の前身は、日本統治時代の昭和3年に創立された台北帝国大学です。 第二次世界大戦後、1945年に台北帝国大学は国立台湾大学と改制され、現在では、文学部・理学部・社会科学部・医学部・工学部・生物資源農学部・管理学部・公衆衛生学...
カルチャー

「華山1914文創園区」でいろんなイベントがおこなわれている。

イベントやアート会場として使われるクリエイティブなアート空間は、日本統治時代の酒工場なんです。 1987年に酒工場が「林口」に移転し約12年間放置されていたところに、台湾の若者が忍び込み壁画を描き始めたことが、「華山1914文創園区」の...
台湾東部

日本統治時代の「鹿野區役場」なんとか残していかないと。。。

日本統治時代の鹿野郷役所跡、李元和先生など地元の人たちのご尽力によって! 旧鹿野區役場は取り壊される予定だったのですが、この地域の人達が残すべき建物だと考え、残っています。 この建物に住んでいる人はおりません。こちら...
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