歴史

台北近郊

かつては軍事沿岸防衛管制だった場所だった「獅頭山公園」

三方が海に面している森林歩道!!砦や旧兵舎などもいまだに残ってます。 こちらの公園に観光で来られる方のほとんどは、台湾東部の方たちが多いそうです。近くには金宝山墓園がありテレサ・テンが眠る墓地もあります。 こちらは、...
台北近郊

台北三大廟のひとつとして有名な「清水巌祖師廟」由緒ある古廟です。

200年以上前からこの地で信仰の対象としてあがめられてきました。 龍山寺から歩いて約10分ぐらいのところにあります。 龍山寺は多くの参拝者が訪れておりますが、清水巌祖師廟は人影もなくひっそりとしてます。 萬華地区に...
台北近郊

東方芸術の殿堂と称されるだけあって「三峡清水祖師廟」の彫刻はすごい!

柱・屋根・壁などよ~く観察してください。龍・鳥・花が彫られていますが、特に鳥に注目! 石柱の数約130本以上、石柱に彫られている鳥の数1,000匹以上で1匹とも同じ鳥がいないと言われているそうです。 とにかくお見事としか言えない...
台北

国立台湾大学を知ることができる展示場「校史館」には!

校訓は、敦品励学愛国愛人(篤実で、学に励み、国を愛し、人を愛す) 台湾大学の卒業生は、この校史館内で結婚写真を撮ることができるんですって! 校史館では、大学の歴史や学生生活の歴史、貴重な写真、台北帝国時代の器...
台北

台湾大学の総面積は台湾全土の約百分の一の広さなんです。

台湾大学の前身は、日本統治時代の昭和3年に創立された台北帝国大学です。 第二次世界大戦後、1945年に台北帝国大学は国立台湾大学と改制され、現在では、文学部・理学部・社会科学部・医学部・工学部・生物資源農学部・管理学部・公衆衛生学...
カルチャー

「華山1914文創園区」でいろんなイベントがおこなわれている。

イベントやアート会場として使われるクリエイティブなアート空間は、日本統治時代の酒工場なんです。 1987年に酒工場が「林口」に移転し約12年間放置されていたところに、台湾の若者が忍び込み壁画を描き始めたことが、「華山1914文創園区」の...
台湾東部

台湾・台東龍田村の歴史を見ることができる「龍田文物館」

台湾東部で最大だった移民村「龍田」当時使用されていた生活用品が展示されております。 龍田村には新潟県から多くの移民者がきたそうです。多い時で1,350人と他のブログに書かれておりました。 展示品のほかに、龍田村の歴史...
台湾東部

台湾のマザーテレサとも呼ばれる尼僧「釈證嚴法師」が昔 ”崑慈堂”で!

釈證嚴(しゃくしょうごん)日本統治時代の末期に生まれ、台東の崑慈堂で短期修行をされたそうです。 崑慈堂は、瑤池金母を主神に祀っています。 あれ?眼鏡かけてる?? 地元の人に聞いたのですが、この神様のお髭...
台湾東部

日本統治時代の「鹿野區役場」なんとか残していかないと。。。

日本統治時代の鹿野郷役所跡、李元和先生など地元の人たちのご尽力によって! 旧鹿野區役場は取り壊される予定だったのですが、この地域の人達が残すべき建物だと考え、残っています。 この建物に住んでいる人はおりません。こちら...
台湾東部

昔は2,000名以上も日本からの移民者がいた「龍田村」いたるところに日本時代の建物が!!

龍田村は、日本人の移民者で計画的に開拓された場所なんです。 村が、碁盤の目のようにきちんと区画されています。やはり几帳面なんですね、昔の日本人は。。日本統治時代の日本人移民村は、台湾の各地にありますが、ここ台東の龍田村には当時の建...
台湾東部

台湾で完全な形で復元された「鹿野神社」が台東縣にあります。

日本統治時代の鹿野神社の基壇をもとに、日本の宮大工の協力で84年前の姿を取り戻しました。 台東縣龍田村(日本統治時代は鹿野)は、長野県や新潟県からの移民がこの地で開拓しながら生活をしておりました。当時はサトウキビの栽培に携わって、...
台北

台北府城「北門」は、台北城に5つあった門のうち当時の姿をとどめる唯一の門です。

台北城の表玄関(北門)清朝に仕え皇帝の恩顧を得ることから「承恩門」と命名された。 今も当時の姿のままです。北門の前には「台北郵局」台北郵便局があります。この郵便局の建物は、1930年(昭和5年)に、当時の台湾総督府の栗山俊一指導の...
台北

スースーナンツン「四四南村」とてもレトロなところでなぜか?女性が注目されている!

旧日本陸軍の倉庫を改修して住居として、大陸から避難してきた国民革命軍がこの地に定住しました。 「四十四兵工場」という武器工場で働いていた人々と、その家族暮らせるように改修した場所です。 すごく歴史を感じませんか? 建物の中に...
台北

1937年台湾総統府専売局松山煙草工場が、新たにカルチャースポットに。。。

近年、台湾では放置されていた古い建築物(日本統治時代のものも含む)を文化施設として再利用することが進められている。 この旧煙草工場は「松山文創園区」として、アートとグルメの場所として生まれ変わりました。 工場の中庭(バロック...
台北

台北市内から一番近い場所にある旧炭坑「和興炭坑」昔はレジャースポットだったみたい!

当時、炭坑で働いている様子を描く「煤の一生」のタイル画です。 タイル画を見ながら歩んでいくと、「蝙蝠泂」と書かれたコンクリートの穴があります。蝙と書かれた漢字の下に、蝙蝠(こうもり)の絵があるということは、コウモリが逆さまの状態で...
台湾南部

元、日本兵が神様として祀られている台南「鎮安堂飛虎将軍廟」

1944年10月12日、台湾に配属されていた日本海軍の飛行士がゼロ式艦上戦闘機32型に搭乗して台湾沖航空戦へ出撃 台南上空でアメリカ軍機を迎え撃つが撃墜され、被弾した搭乗機を台南の集落地への墜落を避けるために、郊外まで飛び落下傘降...
台湾南部

台湾で初めてできた学校「台南孔子廟」教育分野では匹敵するものはなく「全台首学」と呼ばれていた。

鄭成功の息子「鄭経」が1665年に創設した孔子廟、台湾における学問発祥の地 孔子廟への入口(東大成坊)です。こちらから入り 禮門(写真中央)をくぐってから大成門に入り、帰りは義路門(写真奥)をくぐり西大成坊から帰るそうです。...
台湾南部

台湾における関帝廟の総本山「祀典武廟」創建の時期は17世紀中盤

武廟に祀られている関羽は、簿記法を発明したことから「商売の神様」として台湾の人たちの信仰を集めています。 祀典武廟の横には、馬使爺廳があります。 祀典武廟では月下老人にお手紙も書けます。そういえば、横浜にも関...
台湾南部

1653年台湾南部を占領していたオランダ人によって建てられた。赤崁楼(普羅民遮城)

300年以上の歴史を有する赤崁楼は、かつて普羅民遮城と呼ばれ、行政と商業の中心でした。 ライトアップされた赤崁楼 赤崁楼(普羅民遮城)の歴史 1625年 オランダ人が布15束で原住民から赤崁地区の土地を買い取...
台湾南部

ガジュマルの幹が壁を這い上がり、葉が屋根を覆いつくす「安平樹屋」

安平樹屋は、徳記洋行の裏手にあった会社の倉庫だったんです。広さは1400坪 なんでこんなことになったか?当初はイギリスの商社「徳記洋行」その後、日本統治時代は「大日本塩業株式会社」戦後は「台湾製塩総廠」の倉庫として使用されておりま...
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