1653年台湾南部を占領していたオランダ人によって建てられた。赤崁楼(普羅民遮城)

台湾南部

300年以上の歴史を有する赤崁楼は、かつて普羅民遮城と呼ばれ、行政と商業の中心でした。

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ライトアップされた赤崁楼

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赤崁楼(普羅民遮城)の歴史

1625年
オランダ人が布15束で原住民から赤崁地区の土地を買い取り、商館、市街、倉庫、病院を設置し、普羅民遮街を造った。
1653年
オランダ人と漢人が衝突(郭懐一事件)オランダ人が赤崁に城堡を建築、防御の拠点とし、普羅民遮城と名付けられ、のちに赤崁楼と呼ばれるようになった。
1862年
台湾中南部の大地震で、赤崁楼のオランダ建築はすべて倒壊
1886年
赤崁楼西側に「蓬壺書院」を建設。残っていた砦の土台に「文昌閣」と「五子祠」を建築し、海神廟を修復
1895年
日本の統治が始まり赤崁楼は、「陸軍衛戍医院」となる。
1944年
日本人によるオランダ城堡遺跡修築や修繕が行われた。

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文昌閣
いまでは、試験合格を祈願する信仰の対象になっているそうです。

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鄭成功和議の像

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普羅民遮城(プロヴィンシア城)の遺跡
1944年日本人が赤崁楼を改修、その際に要塞の遺跡が発見された。オランダ時代の遺跡です。

普羅民遮城遺跡

普羅民遮城(プロヴィンシア城)の正門
1944年に発見された主郭正門

普羅民遮城正門

赤崁楼主砦遺跡
オランダ時代のレンガで砂糖水、もち米汁、カキ殻の灰を調合して造られているそうです。

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瓶形の門
海神廟の後方の壁にあり平穏無事という意味があるそうです。門の上の梁にうさぎと芭蕉の葉が描かれていて縁起が良いそうです。

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